登入目の前で。
オレンジの炎が燃え盛っている。夜空に映える炎のオレンジ色はその触手を天に伸ばし、更に炎自身が燃えるものを探している。炎の触手の先からは黒煙が立ち上り、夜空の星を覆い隠す。
私を閉じ込めて、絶望の淵へ追いやった療養所という“檻”は、今はもう燃えながら歪み、崩れ落ち、灰と化して行く。
「お嬢様」
及川が私の横に立つ。
「今この瞬間からお嬢様は灰になりました。もう一ノ瀬家の令嬢ではございません」
全ては燃えて灰になった……私と一ノ瀬家の縁も、そして未練も全て燃えて灰になったのだ。
思い出されるのは幼い頃の記憶――
お母様が生きていた頃は……私もお父様に確実に愛されていた。お母様とお父様に囲まれて、とても幸せな日々を過ごしていたのだ。
そしてそれはずっと続くものだと、私は純真無垢にもそう信じていたし、それが当たり前だった。
でも、お母様は亡くなってしまった。
お母様が亡くなった時の事は今でも良く覚えている。お母様が息を引き取るその瞬間まで、お父様はずっとお母様の名を呼び続けていた。大事そうにその手を握って。私は部屋の中に入る事が出来なかった……怖かったのだ。お母様が死ぬなんて、有り得ないと思っていた。ずっとずっと私は優しいお母様とお父様に囲まれて生きて行くのだと、そう信じて疑わなかったから。だから私はずっと部屋には入れず、ただただその部屋のドアの前で泣いていた。お父様はそんな私を見つけ、私を抱き上げると、お母様の手を握ったその手で、その腕で私をギュッと抱き締めてくれた。
「美緒、私にはお前が居る……そう、お前が居るんだ……」
私はそんなお父様の肩に縋って泣き、その言葉を信じた。
でもお母様の葬儀が終わるか、終わらないかのうちに華瑛さんと瑛理香がこの家に踏み込んで来た。
その日から全てが変わってしまった。
ズカズカと無遠慮に踏み込んで来た華瑛さんは私を見て微笑んだ。けれど、その微笑みは冷たかった。華瑛さんはお母様の部屋を奪い、服を奪い、装飾品を奪い……いつの間にかお母様の面影はお屋敷からは消えてしまった。それと共に、お父様の視線は私から瑛理香へと移り、瑛理香を目に見えて可愛がるようになった。瑛理香は私よりも可憐に振る舞い、お父様の心を掴んで行った。
気付けばお父様の私を見る目には失望が浮かぶようになっていた。
ズカズカと入り込んで来た二人は、いつしかお母様が座っていた場所に入り込み、それがさも当然かのように振る舞うようになっていた。
あの二人が全てを壊したのだ。
でも、一番哀れで滑稽なのは ――
冷たい手術台に横たわる事になって、それに気が付いた私だ。
そこまでされて初めて私は気付いたのだ。
あの家はお母様が亡くなった時から、既に私の家では無くなっていたのだと。
◇◇◇
及川は私を連れてその現場を後にし、市内のホテルに入る。ここから先の事を決めなくてはいけない。ホテルの部屋に入った及川はまず、私の体を癒す事を優先すべきだと言った。堕胎手術を受けて、まだ24時間経っていない。頭痛が酷く、腹痛もある状態だ。それ程、派手には動けない。
「数日の間はこのお部屋にて、お休みください。その間に私が色々と手配致します」
及川がそう言った時、及川のスマホが鳴った。及川はスマホの画面を見て、そして私にその画面を見せる。
―― 奥様 ――
及川が人差し指を口に当て、そして電話に出る。
「はい、及川です」
及川が私に音を立てないよう、目配せする。
「及川? 明日の葬儀の手配は済んでいるのよね?」
私の義理の母・華瑛さんの声が聞こえる。
「はい、奥様。ご指示の通り、滞りなく」
及川が短くそう言う。
「いいわ」
電話の向こうで華瑛さんがクスっと笑ったのが分かった。
「早く葬り去るのよ。とっとと終わらせて、次へ行くわ」
それだけ言って、電話が切れる。一方的な通告に私は笑う。
(やはり、全ては彼女が仕組んだ事だったのね)
「明日はお嬢様の葬儀がございます。その葬儀の間に……」
及川がそう言うのを私は制する。
「……行くわ」
私がそう言うと及川が驚いて私を見る。
「お嬢様! 正気ですか!」
私はベッドに腰掛けて言う。
「えぇ、私は正気よ」
及川は私の足元に来て言う。
「死にに行くようなものです! お考え直しください」
そう言われて私は及川を見る。
「お父様はまだ何も知らないのよ。あの女は……」
そこまで言って込み上げて来る嗚咽を飲み込む。
「華瑛さんは私を、いいえ、一ノ瀬家全体を陥れようとしている」
私は込み上げて来る涙を振り払い、言う。
「私が直接伝えなければならないの。これがお父様に告げる最後のチャンスよ」
及川が私の言葉を聞いて、黙り込み、何かを言い掛けて、やっぱり何も言わずに自分の言葉を飲み込んだようだった。
私が口に出さなかったもう一つの気掛かり……。
翔太……。
あの写真がお父様の元に届けられた時、翔太はそれを見ただろうか。彼は既に知っているのだろうか。彼はそれを信じてしまっただろうか。
翔太に会いたい……。
目の前で。オレンジの炎が燃え盛っている。夜空に映える炎のオレンジ色はその触手を天に伸ばし、更に炎自身が燃えるものを探している。炎の触手の先からは黒煙が立ち上り、夜空の星を覆い隠す。私を閉じ込めて、絶望の淵へ追いやった療養所という“檻”は、今はもう燃えながら歪み、崩れ落ち、灰と化して行く。「お嬢様」及川が私の横に立つ。「今この瞬間からお嬢様は灰になりました。もう一ノ瀬家の令嬢ではございません」全ては燃えて灰になった……私と一ノ瀬家の縁も、そして未練も全て燃えて灰になったのだ。思い出されるのは幼い頃の記憶――お母様が生きていた頃は……私もお父様に確実に愛されていた。お母様とお父様に囲まれて、とても幸せな日々を過ごしていたのだ。そしてそれはずっと続くものだと、私は純真無垢にもそう信じていたし、それが当たり前だった。でも、お母様は亡くなってしまった。お母様が亡くなった時の事は今でも良く覚えている。お母様が息を引き取るその瞬間まで、お父様はずっとお母様の名を呼び続けていた。大事そうにその手を握って。私は部屋の中に入る事が出来なかった……怖かったのだ。お母様が死ぬなんて、有り得ないと思っていた。ずっとずっと私は優しいお母様とお父様に囲まれて生きて行くのだと、そう信じて疑わなかったから。だから私はずっと部屋には入れず、ただただその部屋のドアの前で泣いていた。お父様はそんな私を見つけ、私を抱き上げると、お母様の手を握ったその手で、その腕で私をギュッと抱き締めてくれた。「美緒、私にはお前が居る……そう、お前が居るんだ……」私はそんなお父様の肩に縋って泣き、その言葉を信じた。でもお母様の葬儀が終わるか、終わらないかのうちに華瑛さんと瑛理香がこの家に踏み込んで来た。その日から全てが変わってしまった。ズカズカと無遠慮に踏み込んで来た華瑛さんは私を見て微笑んだ。けれど、その微笑みは冷たかった。華瑛さんはお母様の部屋を奪い、服を奪い、装飾品を奪い……いつの間にかお母様の面影はお屋敷からは消えてしまった。それと共に、お父様の視線は私から瑛理香へと移り、瑛理香を目に見えて可愛がるようになった。瑛理香は私よりも可憐に振る舞い、お父様の心を掴んで行った。気付けばお父様の私を見る目には失望が浮かぶようになっていた。ズカズカと入り込んで来た二人は、いつしかお母様が座っ
及川は私を見つめ、頷く。「お嬢様、生き延びてください。それもあなたのお母様の最後の願いなのですから」そう言われて私はポロポロ落ちる涙を拭い、聞く。「私は、何をすれば?」及川が簡潔に言う。「時間がありません。今すぐにお嬢様のお召しになっている服とネックレスを外して頂けますか」及川はそう言って自分の足元にある遺体袋を見る。「この遺体にお嬢様の服を着せ、ネックレスをつけさせます。そうすればお嬢様は死んだ事になり、万が一にも生きている事が知られたとしても、その時にはお嬢様はここから遠い地へ離れている事でしょう」及川は私に紙袋を渡す。「着替えは中に」その紙袋を受け取る。漆黒のワンピースに着替え、ネックレスを外し、及川に渡す。このネックレスは私にとって特別だったものだ。けれど今はもう、その未練さえ、断ち切る覚悟が決まっている。及川はそれを受け取り、遺体袋に近付く。「お嬢様はご覧にならない方がよろしいかと」及川にそう言われて私は視線を外す。不意に私たちが居る部屋から離れた場所から衣擦れの音が聞こえる。「お嬢様、急ぎましょう!」及川の声は張り詰めている。及川は私の腕を掴むと、引っ張り歩き出す。その足取りが徐々に早くなる。私の身体は痛みで悲鳴を上げていた。それでもそれを必死で堪え、よろめきながら及川の急ぎ足の歩調に合わせる。ほとんど引き摺られるようにして廊下を抜ける。施設を出たその瞬間 ――ドオオーーーンっ!!!背後で爆発音がして爆風を浴びる。次の瞬間には灼熱の衝撃波が破片を巻き上げ、背中から私たちに襲い掛かる。私は本能的に身を伏せ、及川がそんな私を庇ってくれる。数歩前へ、この衝撃波と灼熱から逃げる為に、また一歩前へ、駆け出す。振り返る。建物全体が既に烈火の中で。その形を崩している。歪んだ鉄骨と吹き飛ばされ、崩した建物。その建物の全ての窓から、いや、窓だったものからオレンジ色の炎が噴き出し、全てを煉火が飲み込んで行く。◇◇◇「何だと?!」知らせを聞いた私は椅子から立ち上がる。「それは本当か?」そう聞くと知らせを持って来た者が言う。「間違いありません」そう言ってタブレットを差し出す。そこに映されたのは燃え上がるあの施設。「行くぞ!」そう言って慌てて屋敷を出る。辿り着いた先は私設療養所。炎は最初程の勢いは無くなったのか、パ
目が覚める……。チカチカと視界が霞む。寝かされている場所は……色味の無い部屋……? (ここは……どこ……?)(昨日のあれは……夢だった……?)微かな希望だった。昨日の夜の事は私を襲った悪夢、そう思いたかった。けれど。自分の手を動かす。何か引き攣れるような感覚がして見てみれば、私の腕には点滴が刺さっている。それを見て、私は昨日の事が夢なんかじゃ無かった事を思い知る。(そうだ……私は……昨日、ここへ運ばれて……)思い出したくも無い場面、消毒薬の匂いの充満した手術室のような場所、拘束された私の手足。強行された私への堕胎手術……。(もう私の子は……)そう思いながら私は点滴の刺さっていない方の手でお腹を撫でる。鈍い痛みが下腹部にはあった。そして流れ出ている血の感覚も。誰かが部屋に入って来る。その誰かは私が横になっているベッドに近付いて来て、私の顔を覗き込む。そして私が目覚めている事に気付いたけれど、無表情だった。流れ出る血の感覚を味わう私の脳裏に蘇る、誰かの言葉。おぞましい言葉。~奥様からのご指示だ、アレは残しておけ、後で使うそうだ~涙で視界が歪む。苦しくて息が出来ない。体は動かせる筈なのに、私の体全体が重たい鉛を括りつけられたようにベッドに沈んで行く気がした。
お父様のそんな声を転がりながら聞く。お父様がそう怒鳴りながら私に近付く。しゃがみ込んだお父様は私に小さな声で囁く。「美緒」そう言われて私は少し驚く。その声に優しさが滲んでいたから。「よく聞け」そう言う声は低く、雨音にかき消されそうな程で、恐らくは私にしか聞こえていない、そんな声だ。「お前を療養所に送る。そこで大人しくしていろ。騒がず、逃げる事も考えずに、誰とも連絡を取るな」私は赦しを乞おうと言葉を口にしようとして、それでもそれが言い訳にしか聞こえないだろう事を思うと言葉が出ない。お父様は私の腕を掴む。その力はとてつもなく強い。「良いから黙って聞け」お父様が私の腕を掴み上げ、私の瞳を見つめて言う。「三カ月だ」三カ月……? お父様が続ける。「たった三カ月、大人しく療養所に居るんだ。三カ月も経てば、世間の騒ぎが落ち着くだろう。そうしたら迎えに行く」(世間の騒ぎが落ち着いたら……? 三カ月後に迎えに……? 何を言っているの……?)(お父様は私を捨てた訳じゃないって事……?)今の私には分からなかった。(私を足蹴にして、縋る私の手を払ったのに……?)それでも私を見つめるお父様の瞳には何か、温かいものを感じる。熱い涙が込み上げて来て私の瞳を歪ませていく……三カ月経てば、きっとお父様は迎えに来てくれる、そう思えた私は頷く。それだけできっと伝わると思ったから。ほんのわずかな時間、お父様は私を見つめ、そして私の腕を離す。「連れて行け」数人の男に囲まれる。視界の中で義妹の瑛理香と義母の華瑛さんがニタニタと笑っているのが見える。お父様が私に背を向けた瞬間に二人ともニヤ
「一族の面汚しだ!」土砂降りの雨の中、私は泥の上へ叩き出される。雷鳴が鳴り響き、雷の光がお父様の背後のお屋敷を照らし出す。お父様は私を見下ろしながら私に何かを叩き付ける。「これは一体、どういう事だ!」私の頬に叩き付けられたもの、それは数枚の写真。私の頬に叩き付けられた写真が土砂降りの雨の中に散らばる。その写真には私が男に肩を抱かれホテルの部屋に入って行くところが写っている。しかも写真はそれだけにとどまらず、私とその男が半裸でベッドに居るところまで写っている。(どうしてこんな写真をお父様が持っているの……)そう思いながらその写真を手に取る。写真に写る男、それは我が一ノ瀬家の宿敵とも言える男――九条征哉――その人だった。そして。私の手の中にあるのは妊娠検査票。私は宿敵である九条征哉の子供を宿してしまっていた。妊娠検査票を握り締める。全ての発端はこの妊娠検査票だった。「お前のせいで! 高橋家との縁もご破算じゃないか!」高橋家、それは私の恋人であり婚約者の高橋翔太の家。私と翔太は順調にお付き合いを続けて、つい最近、婚約にまで至った。それがこの写真と妊娠検査票によって、打ち砕かれた。元々、我が一ノ瀬家は事業が暗礁に乗りかけていて、一縷の望みをかけての高橋家との婚約でもあったのだ。雨が私の体を打ち付けて行く。全身ずぶ濡れで体が冷えて行く。「お姉様……いくら遊び好きでも、こんなふうにスキャンダルを起こさなくても……」そう言ったのは私の義理の妹の瑛理香だ。彼女は私の義理の母にあたる華瑛さんの実子。可憐さを装ってそう言っている瑛理香はわざとハンカチを持ち、その瞳を拭ってみせながら、声を震わせ、その横に並んで立っている華瑛さんに寄り添っている。私が雨に打たれながらそんな瑛理香を見ると瑛理香は一瞬だけ、そのハンカチで口元を隠して笑ったのを私はしっかりと見た。